さてそんな人をもう一人紹介したいと思います。誰って? ひょっとして犬飼さん?
犬飼会長もお荷物チームと言われたレッズをあそこまで育て上げた生みの親。功績はかなり「大」です。でもね、ちょっと違うんです。そんな有名な人じゃありません。
ヴィッセル神戸の社長さん。(ふつうは社長に敬称をつけませんが、あえて関西のノリで。)溝畑社長が陽の性格ならヴィッセル神戸安達社長は後ろで大きく支える大黒柱のイメージ。 溝畑社長はまだ40代で安達社長は70才と年齢からくるイメージがあるのかも知れません。 ただ両社長ともサッカーにかける思いは相当なものがあり、チームへの情熱は人数倍あると思います。
安達社長は就任時56才。あと4年もたてばサラリーマン社長として退職金をもらって悠々自適の生活のはずが、退路を断っての就任。 選手は一年毎で勝負しているのに、フロントは危なくなったら親会社に帰ればいいという精神が嫌だ。自分はあえて2年契約で、2年でJ1昇格しなかったらクビだとそう言い聞かせ、自分もがけっぷちの勝負をかけて契約した。
1995年1月1日 ヴィッセル神戸としてスタート。 元旦を迎えこれから活きようようを勝負に出ようとした練習初日が17日。とんでもないことがヴィッセル神戸に降りそそがれた。
練習初日、早朝、午前5時過ぎ・・・、地面が大きく揺れた。家が倒れ、ビルが倒れ、高速道路までも倒壊する未曽有の震災に見舞われた。多くの命を奪った震災はヴィッセルの行動も奪う。練習予定地だったところは、まずは資材置き場、その後は仮設住宅地になってしまう。 待っていても土地は空かない。 設立母体である川崎製鉄サッカー部のお世話で倉敷市に練習場を求める。 安堵の暇はない。 資本金10億の約半分出資していたダイエーが同じく震災の影響で、クラブ経営から撤退したいとの連絡を受けた。 資金援助から人の援助まで減らされてしまった。 前途多難な船出。 新しく移った事務所にFAXがない。 本当かうそか知らないが「つぶれる会社」にリース会社が許可しなかったという。
「Trouble is Chance」トラブル イズ チャンス 安達社長の言葉だ。ピンチ・つらいときほど新たな展望を開く好機。 どうしても忘れられない光景がある。 練習中、ボールが大きく弾み被災者の住む住宅の屋根を直撃することがある。怒鳴られるのを覚悟で謝りに行くと「あんたらのおかげで元気もらっとるんやから、しっかり頑張りや。」と励ましの言葉を頂いた。スポーツには金で買えない感動がある。優勝とか大きなことで感動することが多いが、草の根というか、小さな地道なことからも感動という2文字が生まれる。
その後戦力UPもあり翌96年秋にJ1昇格をはたす。約束通り2年での結果だが安達社長はチームを去ってしまった。「若手を育てないと長期ビジョンは描けない。目先のことばかりを追うと失墜する。」その言葉をあとに横浜フリューゲルスに移籍し初大仕事は、今をときめく遠藤保仁選手の獲得だった。
だが放漫経営だった経営陣と対立、成績不振を理由にしてサッサと辞めてしまった。その一ヶ月後に横浜マリノスとの合併が発表される。 しばらくはクラブ経営から距離を置いた。 そんな時、声をかけてきたのは楽天社長だった。
「ひとつ条件があります。 若手の育成部門に力を入れてくれますか・・・。」
まもなく1月17日がやってきます
『人は人から育てられるもの』
どこかで聞いたフレーズですが、改めて考えてみたいですね
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